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自閉症だったわたしへ・Ⅱ・Ⅲ ドナ・ウィリアムズ 河野万里子 訳 [ASD関連図書]

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ドナ・ウィリアムズは、1963年にオーストラリアで生まれた女性で、母親からの虐待を受けながら、壮絶な環境の中で生長し、25歳で自閉症の診断を受けた。
この本は、3歳より以前のほんの幼い時の記憶から書き始まり、その時々に感じたこと、考えたことを、詳細に記述している手記であり、自分自身が何者であるかがわからなかった彼女が、自分自身の居場所を探すための、長い旅路を綴ったもので、「自閉症だったわたしへ」「自閉症だったわたしへⅡ」「自閉症だったわたしへⅢ」を合わせると、相当に読み応えのある長編になる。
河野による日本語訳の1冊目が出版されたのは、平成5年(1993年)とあるので、今から24年前になる。

この本を読んだのは、購入記録によれば、2007年だった。
2002年頃、企業の採用担当者だった私は、障害者の採用と雇用管理も担当していた。
障害者のための合同面接会には度々参加していたが、あるとき、特別支援学校の先生に紹介されて、自閉症だという高校3年生と面談することになった。
彼は、私の質問する言葉を、オウム返しのように一度自分で口に出してからでないと、応えられなかった。
彼の側には彼の父親が同席し、心配そうに見守ってはいたが、口は挟まなかった。

当時私の勤務する会社は、身体障害者は雇用していたものの、理工学系の専門知識や技術を持った人に限られていて、知的障害者や精神障害者は一人も採用したことが無く、何とか一人でも受け入れてくれる職場がないかと模索しているところだったが、なかなか引き受けてくれる職場をみつけることはできないままでいた。

自閉症の少年と出会って、なんとか採用したいとは思いつつ、実際の仕事の現場での困難さも重々承知していて、採用に結び付けることはできなかった。

しかし、その時の想いはずっと心の中に有り、自閉症の人たちへの支援はどうすればいいのか、自閉症とはいったいどんなメカニズムで、このような反応をするようになるのか、自閉症についてもっと知りたいと思うようになった。

それまでの知識では、自閉症と知的障害は並存していて、自閉症の本人がどういう風に物事を感じ、考えているのか、知るすべがないと思われていた。
そんなところに出会った「自閉症だったわたしへ」という手記は、まさに、自閉症の本人が、日々の生活や周囲の様を、どの様に感じ、どの様に考えているのかを、自ら表現してくれている、画期的な書物であった。

彼女のいちばん最初の記憶の、光の玉がきらめきながら周囲を飛び回るという夢のような世界や、成長してからの、周りの景色が突然すうっと遠のいていく様、彼女の周りにできた目に見えない壁、彼女の周りにいた友人たちとの出来事など、ドナと自閉症の闘いの様子が語られていて、私にとっては一つひとつが新鮮なものだった。

ドナは成長してから、黄色のレンズのサングラスをかけることで、視覚の過敏さが和らぎ、精神的にも落ち着いて生活できるようになったというようなことが記述されていたが、このような症状に「アーレン症候群」という名前がついていることを知ったのは、2年前に大学院に入学し、発達障害について学び始めてからだった。

3冊全部読み切るのには、とてもエネルギーと持続力が必要だったが、これは、ひとつの言葉から書き始めると、次々に書くべき言葉が溢れてくるという、ドナの自閉症ならではの特性である優れた記憶力のせいなのだろう。
読んでいる方は、その情景が、映画でも見ているように感じられるほど、詳細に記述されているのだ。

「自閉症とはいったい何なのだ?」ということが知りたくて、読み始まった本ではあるが、そして、ドナという1人の女性の抱える自閉症については、だいぶいろいろなことがわかったが、自閉症の世界はもっともっと広くて、私はその入り口を紹介されただけなのだろうと思う。

この本を、もし、自閉症を抱える本人の方が読むのであれば、ドナの闘いの様子や、壁を乗り越えようとするドナの勇気を知ることができ、きっと、新しい勇気や力を貰えるのではないかと思う。
是非、読んでみてほしい本である。

が、残念ながら、この本を今現在、新たに入手することは難しいのかもしれない。
古書店などで、辛抱強く探してみてほしい。







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